EPSボードとの出会いを語る

EPSボードとの出会いを語る
宇田大地 EPSボードとの出会いを語る

宇田大地 EPSボードとの出会いを語る

ファーストコンタクト

さて、ぼくもGAEA SURFを立ち上げてからもうすぐ10年になりますが、いまをさかのぼること 5年前に、10年前からオリジナルボードのDA-1をシェープ下さってる須藤氏から、1本のサーフボードが届きました。

それは、世にも奇妙なものでデッキにボルトがふたつ埋め込まれているストリンガーの見えない真っ白くまるでペンキで塗装されたような板でした。
早速テストで試乗してみてみると、そのボードはとても柔らかくしなりすぎてボトムターンの時まるで突然サイドブレーキをかけたようにとまってしまいました。しかし、ボード自体は非常に軽く、テイクオフはめちゃめちゃはやかったので、須藤氏に尋ねると、これは実は発泡スチロールでできているんだ。と、いいました。これがすべての始まりになりました。

当時の情勢・・・

当時サーフィン業界にも、サーフテックのタフライト製の成形ボードや平行輸入に伴い価格破壊の兆しがあり、すでにウェットスーツ業界ではそれは手がつけられない状態になっていたので、僕自身サーフボードも何か考えていかなければ・・?と思っていた矢先に、これに出会い、須藤氏に協力してやっていく決心をかためました。

トライ & エラーの日々

さあー、何からやるか?となり、サーフボードを作るためにはまずブランクスが必要だ・・・、ということで、特大の発泡スチロールのブロックを購入し長方形の状態から切り出し、やがてホットワイヤーでロッカーが切り出せることを知り、そうしてロッカーのついたブランクスになりました。
次にストリンガーに取り掛かりました、ホームセンターでかけ3メートルものの杉の木を購入し、ボンドで塗って貼り付けましたが、ただ接着させただけでは、だめでした。固まったあとのストリンガーの際が隙間だらけになってしまい、梱包用の黄色いポリの紐で須藤さんと二人で両側から引っ張って圧縮しました、紐のふちで指がきれてしまうので、皮手袋を野島氏(ウェットスーツQUALITY社長)がプレゼントしてくれたのを覚えています。しかし、それでもだめでした。やはり隙間があいてしまうんですよ・・・

転機

業を煮やした私は海外のウレタンフォームを作っている工場に観光客を装って視察にいき実際に作っているところを見学に行きました。
僕の中では、専用の機械でストリンガーの貼り付けを行っているものとばかりおもっていたので現場を見た時には驚愕しました。なんと、年間数十万本出荷している巨大工場が、2人一組で人海戦術で作業しているではありませんか! 半ばあきらめかけていたぼくの心にこれなら俺にもやれる、と、闘志の炎がメラメラと立ち上りました。

早速日本に戻り専用のクランプを(貼り付け専用の圧縮機)独自に開発し、隙間のない貼り付けに成功しました。

新たな問題点

貼り付けには成功しましたが、次に実際の商品としてのサーフボードとして、展開するため開発に着手しました。それは、EPS自体の硬さ、コーティングの方法、レジンの種類にまでいたりました。 ありとあらゆる組み合わせをするため、須藤氏が数十本開発用に製作しました。
そして3年後商品化にもめどがたち、須藤氏・野島氏・平岡氏・永野氏と私を含めた5人で有限会社ドリームドライブを立ち上げ今日に至ります。

無限の可能性

長い間失敗の連続でここまできましたが、EPSにはまだまだ可能性が秘められています。
リサイクルや環境問題にも対応できます。未来の可能性に十分答えられる素材ですし、サーフボードになると確信します。